根源的な存在の否定から生まれた行動力 (1)

Dana Villageをはじめて、約半年が経過した。

その間、うまくいくことばかりではないけれど、自己の想いをあらわす「場」があるのは、嬉しい。

さて、このブログでは、「ポジティブになれること」「元気が出ること」「幸せになれること」を書きたいと思っていた。


しかし、

最近、色々な出来事が、私の魂を「呼び起こして」いて、それを無視することができなくなってしまった。身体性を帯びながら、魂が震えている感覚。

 

この感覚を、もちろん私は忘れてはいなかった。

ただ、見えないようにしていた。なかったことにしたかったのだと思う。


思えば、

「自分は存在していて良かったのか」

という、高校生の頃から繰り返し行っていた根源的な問いかけから始まり、

「生きるしかないなら、世界をより良くするために生きたい」

という想いは、特に、2011年の東日本大震災と原発事故を機に、大きく変わった。


私の深い深い奥底にある、「ドロドロとした汚いもの」(本当は、とても純度が高いものかもしれない)ー作家の辺見庸さんの言葉を借りるなら「在ることの罪や恥」についてー、考え、葛藤しながら、発信し続けることに、

深く傷つき、疲弊した。


原発事故によって、見えない放射線が、幼少期から15歳まで過ごした故郷、福島の土地を名実ともに汚染されたこと、関連した自死が相次いで起こっている現状は、深い悲しみ以外のなにでもなかった。


同時期に、看護師として、病院の集中治療室で勤務をしており、自殺未遂の方が運ばれてきてはなにもできない自分に、深い無力感を感じていた。


同じく2011年のある日、その悲しみから抜け出したような感覚を得た日があった。一人でさんざん泣き尽くした後だった。


「世界でどんな悲しい現状があっても、それを私という媒介を通して伝える時には、必ず希望を添えて伝えよう」


と、決意したのだった。


ただ、その決意の後にも、

「他者を傷つけること」に疲弊していた私は、

今まで熱心に取り組んでいたことを、否定、もしくは忘却するかのごとく、「ポジティブ」な情報だけに特化して発信するようになっていた。


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東日本大震災・原発事故から 約5年半、そしてDana Villageをスタートさせて半年というこのタイミングで、正直に自分自身と向き合い、振り返り、記録していきたい。


読んで下さる方は、すぐに「ポジティブ」な気持ちになれないと思うし、私のここで記すことばによって、悲しむ方もいるかもしれない。


それでも、

私自身が、自分の抱える根源的な問いと向き合うことで、何かを導き出したいと考えているように、これを読んで下さる方にとっても、何かのヒントになれば幸いに思う。

 

もちろん、イベントに関すること、元気が出る投稿もしたいと考えているので、色々な側面を見て、お付き合いいただけたら嬉しい。

写真は、2014年のインド北部・ラダック。壮大な景色、自然とともに生きる人々に出逢えた場所。

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