根源的な存在の否定から生まれた行動力(3) 〜「他人に迷惑をかけても良い」父の教えの真義は〜

 父を筆頭に、私の家族は「変わっている」と見られていた。

 

「美農里の父ちゃんは、いつも地下足袋だな〜」

 小学校の高学年から中学生になると、同級生からは、このようにからかわれていた。

 

私の父は、中学生の時から植物の受粉をして遊んでいたというくらいの、根っからの農業好き。
農学部を卒業後には、農業試験場の研究員という仕事の傍らで、

自ら畑を管理し農業に専念していた。

「地下足袋は健康によい!」という主張のもと、
学校への参観日だろうと結婚式だろうと、地下足袋を履いていた。

当時乗っていた車の横には、大きくペンキで「山都町に産業廃棄場はいらない」と書いてあった。

客観的にみれば「変人」

家族からしたら「困ったひと」だった。

他にも、思い出すことはたくさんある。

例えば、我が家では健康のために、胚芽米を食べていた。
昨今の健康ブームで玄米食も流行っているが、その当時はそうではなかった。

 

ある日、学校行事の芋煮会で、1人一合お米を持参してくださいと指示があった。
私は、ただでさえ「変わっている」とみられることが恥ずかしいと思っていたので、

私だけお米の色が茶色であることがいやで、泣いて母に頼んで、近所の家から白米を頂いたのだった。

それだけでなく、

我が家は大きな山に囲まれていたために電波が入らず、NHKとBS放送以外は観ることができなかった。(ちなみに、私は18歳になるまで、民間放送は有料だから観れないと思い込んでいた!)

そのため、私が観ていた番組は、毎朝夕のNHKのニュースと、BS放送の映画やアニメだった。

テレビが観たかったという思い出はあまりないが、
一番つらかったことは、同級生の話題に入られないことだった。

芸能人や歌手の話しに全くついていけないことは、
ただでさえ「他人と違う」ことに恥ずかしさを覚えていた私にとっては恐怖と苦痛でしかなかった。
いつの間にか、知らない話題も知っているふりをし、ごまかす癖がついている自分がいた。

自然の中では100%ありのままの自分でいられた私は、

学校では相手の会話に合わせようと、必死で自分を取り繕うようになっていた。

中学2年生のある日のことだった。