根源的な存在の否定から生まれた行動力(4)〜「いのちの選択」を通して考えた生きる意味〜

高校進学は、

受験が早く終るということや、姉兄も通っていたなどの理由から、深く考えずに

三重県にある私立愛農学園農業高等学校を選択した。

この高校は、全寮制、キリスト教、有機農業を本格的に行う学校で、全国でも珍しい学校であった。

高校生は積極的に農産物の生産や家畜の世話、管理や経営などに携わり、校内の食糧自給率が70%を越えるという生産力も誇っている。

この高校では、高校1年生の時に、鶏の解体をする授業があった。

鶏を自分たちの手で殺める行為を通して、いのちへの感謝の気持ちを育むためだ。

私が始めて挑戦した時は、
先輩の補助を得ながら行い、ショックな出来事ではあったが
「いのちを頂いている」という実感が沸かなく終了した。

高校2年生の時に、
専門的に学ぶ部門選択の時に『果樹部』『酪農部』『養豚部』と色々とあるなか、
『養鶏部』という鶏を管理する部門を選択した。

その時に好意を持っていた相手がその部門だったという、ごく単純な理由からだった。

しかし、後々とても後悔した。
それは、この養鶏部では、鶏の解体がしょっちゅう行われていたからだ。
鶏の解体の流れは、
まず頸動脈を切り、血を流し、死んだのを確認する。

それから、適温のお湯に数分ひたした後、羽がとれる機械に放り込む。
そして、肉と内臓を切り分ける。


この一連の作業もあまり好きにはなれなかったが、それ以上に、とても苦手な作業があった。

それは、この一連の作業の前段階だった。

 

ケージに入っている鶏の中から、廃鶏(老いた鶏、老鶏ともいう)を引っ張りだす作業だった。

鶏も人間と一緒で年老いてくると、卵を産まなくなったり、産んでも大きさがバラバラになったりする。

そういった鶏は、私の高校では食用に解体し、若い鶏と入れ替えをする。

「今日は20羽解体するから、美農里ちゃん、掴まえて来てや」と言われるのだ。

 

廃鶏は、たくさんいる。

数百羽の中から、今日死ぬかどうかの運命は、私の手の中にあったのだ。

 

かたちや大きさが不揃いでも、がんばって(「がんばる」という感覚は、あくまで私の主観でしかないが)卵を
うんでいる鶏の中から、

わたしが、

今日殺す鶏を、「選ぶ」。

 

その行為が、何よりも辛かった。

私が近づくだけで、暴れて、鳴きわめく鶏を目の前に、

足をつかみ、
引きずり出し、
羽やからだが、ガコッバキッとケージにぶつかる音を聞きながら、
カゴに入れる。

他の鶏たちも、「次は自分の番がくる」と、ウ〜ウ〜と恨めしそうに唸っている。

 

この作業をする度に、毎回、泣きそうになった。

私が「選ばなければ」、少なくとも、数日は生きられるのだ。

 


「私は、いのちを選択する権利があるのだろうか?

植物も含めて、人間は、殺生をし続けないと生きていけない。

そんな殺戮を繰り返してでも、私は、生きている価値があるのだろうか?」

という問いが頭の中をぐるぐるとめぐり、自責の念で苦しくなった。

高校生の私にとっては、荷が重すぎる仕事だった。

それでも、自分が生きなければよいかというと、

そうではないことは知っていた。

自責の念にさいなまされながらも、

それでも生きている自分の生には、意味があるに違いない。

それは一体なんだろうと、考えるようになった。